Race Reportレースリポート
もてぎ Enjoy耐久レース Joy耐 in TWIN RING MOTEGI
『不死鳥の如く』
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147GTA-SAR号 #147
DRIVERS LINEUP
[A Dr.]西澤嗣哲
[B Dr.]上松淳一
[C Dr.]猿渡清司(オーナーDr.)
[D Dr.]太田詔
[E Dr.]秋葉有一
監督 折目遼
GM 菊池健太郎
マネージメント(ワンスマ) 高野泰昭 加藤芳皓 倉富秀栄
メカニック 伊藤由明
Dr.サポート 川井聖一 山路健史 吉野禎樹 采女華
サインエリア 堤光広 深野泰章
給油サポート 中根啓太 野澤俊輔 小野純平
ケータリング 澤岩太郎
サポーター STiLENiA
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その時、全員で戦っていた。
あの日、あの場所で、果たせなかった夢を取り返す為に。
7/2(土)の予選1日目。ピットモニターにSAR号が大きく映し出される。
場所は裏ストレート手前のヘアピンイン側。
A Dr.の西澤が、マシンから降りて退避エリアに佇んでいる姿が見える。
モニターを見つめる全員が、悲痛と苦渋の面持ちで焦燥感に襲われている。
「嘘だろ?」
「直ったと思ったのに、、、」
午前中のスポーツ走行枠でB Dr.上松がアタック。
序盤早々にクラッチが逝き、痛恨のミッションブロー。午後からの予選も危うい状況、
ジャッキとウマしかないピット環境の中、ミッション下ろしを敢行して懸命のリカバリー。
メカのヨシアキとDr.兼メカの上松、そしてSTiLENiAの川井、G山、西澤の抜群のチームワークで
僅か1.5h程でクラッチ交換を終え、労いの拍手でSAR号を送り出した矢先のトラブルだった。
三度目の挑戦。
過去2回無念のリタイアに泣き、今年はオーナーDr.の猿渡を始め、Dr.兼メカの上松など並々ならぬ決意と覚悟を以て臨んだJoy耐だった。
マシン整備も抜かりなく、本番を迎える何ヶ月も前から上松自身が不安な箇所の整備やウィークポイントとなるネガを潰し、
「もう触っていない箇所はない!」という程にSAR号をキッチリ仕上げて来た。
ふと、G山がJoy耐直前にStileに顔を出した時の話しを思い出していた。
上松が「どうしても気になるからさー」とミッションまで下ろして念入りにチェックしていたよ、と。
モテギに向かう朝焼けの道中、G山と二人、「いかにも、あげちゃんらしいね~」と笑ったっけ。
そんな上松は今、じっとモニターの画面を見上げたままだ。
感傷に耽っていた意識をピット内に戻すと、オフィシャルが「どうやらオイルが漏れてるようだ」と伝えに来た。
一先ず、ピットレーン入り口のリペアエリアまでクルマを運んで来ると言うので、
上松を筆頭に手の空いているサポーターと共にリペアエリアまで走る。
なかなかマシンと西澤が帰って来ない。
ジリジリと時間が経っていく。
先にマーシャルがコース上の落下物として、まるで肉片のように痛々しく無残に割れたミッションケースの一部を届けに来た。
アスファルトに転がるミッションケースの残片。
上松が黙ってそれをじっと見つめている。
頭の中で、修復するミッションの段取り、この先に控える午後からの予選~明日の決勝と、全てを組み立てる為にどう嵌めたら良いのか、を考えている。
まるでパズルのピースを当て嵌めるように。
ヨシアキと話し、そして直ぐにStileで留守を預かるモミップに電話をする。
現場に唯一持って来なかった"ミッションケース"の陸送だった。
1回目のクラッチ交換時、シフトフォークの入りが渋い為、この予選が終わったらもう一度ミッション下ろしをする手筈だった。
午前中にヨシアキが
「念には念を入れて、今回はミッションはギア含めて全てスペアを持って来ましたよ。さすがにケースは持って来なかったですけどね〜」
と話していたのを思い出す。
上松もヨシアキも、「さすがにそこまでは、、、」と思っていたはずだ。
やっと西澤とSAR号が戻って来た。直ぐに西澤から状況を聞く。
「やるしかない!」
今から向かえば夕方までにはモテギに届く。
上松の判断に迷いは無いし、後退もない。
「直るから。」
この言葉に、その場に居た誰もが安堵する。
猿渡も「何にも心配してないよ。アゲさんが直ると言ったら"絶対"直る」と全幅の信頼を置く。
肝心の予選は、A-B Dr.の合算タイムで明日の決勝グリッドが決まる。
我チームは、A Dr.の西澤が2'19.834を出し総合10位のタイムを出すも、続くB Dr.の予選アタックも捨て決勝グリッドは後方スタートからの巻き返しに期待する他なくなった。
この予選時間を充て、2回目のミッション下ろしをする。
Stileからミッションケースが届くのを待つ間に、今あるミッションを下ろし部品を先にバラしておく。
今やれる出来る限りの事は済ませておいた。夕方17時。待望のミッションケースがモテギのピットに届けられる。
川井らのサポートのお陰で19時前には何とか無事修理も完了し、満身創痍の疲れた身体でホテルへと戻る。
夕食後、部屋でのミーティングの最中、157メガーヌチームの監督を務める番場琢プロが、SAR号の"エースドライバー"を張る上松に叱咤激励に訪れる。
エースドライバーとしての自覚(責任と矜持)、耐久レースの組み立て(流れ)の作り方、トップとしてのサポーター含めた全員への気遣いと気配り、
自身の経験も踏まえながら、上松に明日の決勝に向けて余計なプレッシャーは取り除き、良いイメージのみを残すように暗示を掛けているようだった。
上松も諭されるように頷きながら聞いている。
アドバイスを終え、番場プロが席を立った後で今日一日を振り返り、
「本番決勝は明日で今日は予選だというのに、既に色々なドラマがあったなぁ」の問い掛けに、
百戦錬磨の上松がこう言った。
「レースというのは途中ドラマが沢山あっても最後にリタイアしてしまったら、それは(ドラマではなく)トラブルなんだよ」
1日に2回もミッション下ろしに時間を費やし、予選も十分なアタックも出来ずに終わった。
しかしこれが本当に決勝当日でなくて良かった。今日という日を跨ぐ事で、この悪い流れは断ち切れるはず。
きっと明日は上手く行く。
とにかく今日は疲れた身体を休めて明日に備えよう。
こうして予選1日目が終わった。
7/3(日)決勝。
昨日同様、薄曇りとなったモテギ。
日中は若干昨日より暑くなり、98%という湿度が不快指数として肌に纏わり付く。
朝6:30にはホテルを出発し、慌ただしく準備に取り掛かるメンバーに、頼もしい援軍が駆け付ける。深野だ。
毎年サポートに駆け付けていて、勝手は知っている。手短に昨日の予選や戦況を伝え、早速サポートに加わる。
#147SAR号の決勝グリッドは、エントリー全90台中86位と最後尾からのスタートとなった。
対照的に予選から小さいトラブルは抱えながらも此処まで順調に進んで来た同チーム#157メガーヌ号は、36位スタートと好位置に着けた。
昨晩のDr.ミーティングで話し合った結果、スティント変更があり、Dr.満場一致でスタートDr.は上松に託された。
"エースドライバー"としての重圧がのし掛かる。しかしこの男ならやってくれる筈だ。
スタート10時前。ペースカーを先導に各マシン、ローリングスタートを開始する。
ペースカーがピットロードに退きシグナルが青に変わる。各マシン一斉にエグゾーストを昂らせ、
けたたましい轟音を鳴り響かせながら、チェッカーラインを通過していく。
10時ジャスト。こうして7時間耐久の火蓋が落とされた。
第1スティントを任されたB Dr.上松が、慎重且つ大胆に、丁寧にそして鮮やかに一台また一台と先行車をパスしていく。
開始から25分経過した頃には86→45位と41台プッシュ、順調にオーバーテイクしているように見えた。
ところが、スタートから僅か10LAP、SAR号がピットレーンに戻って来る。
ちょうど#157メガーヌの給油手押しをしていた給油チームの中根、野澤、小野も続けて入って来たSAR号を見て、「ん?ガス欠か?」と慌てて手押しに入る。
#147SAR号は給油後コースに戻らずピットに入る。どうしても4速がグズり入らない。
予選を捨ててまで臨んだ決勝本番。モテギの魔物に呪わているかのように、不運が襲い掛かる。
万難を排し、秘蔵のミッションを使って組んだはずなのに。30分と保たなかった。
「とにかく直すしかない!」
川井、G山、深野もサポートに入り、ヨシアキ指示の下、直ぐにジャッキアップされウマに掛けられる。
次のスティントに入る準備に入っていた西澤も一旦着替える。ジタバタしても仕方ない。予選からDr.も我慢の時間が続いている。
特に、D Dr.太田、E Dr.秋葉の集中力の保持と忍耐力の高さには畏敬の念を抱いた。
レーシングスーツに身支度を整えては、着替え直しを繰り返すのも厭わず、ひたすら直るのを待つ。
Dr.達も本当は修理状況が気になるであろうに、敢えてピット内には近づかず、テント内でメンバー皆に明るく振舞っている。
時計の針も12時を指し、テント内に美味しい匂いが立ち込める。
そう。今年もまたROCK 澤さんの美味しいランチで心も胃袋も満たした。
メニューは3食(豚丼、ペペロンチーノ、冷やし中華)から選べる豪華なケータリングで、各自がそれぞれの待ち時間で手短に食事を済ませる。
Dr.サポートの華ちゃんが注文を取り、各自に配って回る。
食事をして明るい空気に包まれているテント内と、戦場の野戦病院のように慌ただしいピット内が対照的に映る。
でも、これで良い。
それぞれが役割を意識して、各持ち場で踏ん張っている。
この状況下でも、誰も諦めていない。それぞれが今やるべき事を認識し、あうんの呼吸とチームワークで乗り切ろうとしている。
3年前に始まった一人の男の夢。猿渡という熱い男の熱い夢に、上松を始め周りがどんどん巻き込まれて行く。
吹き出る汗もそのままに、急いでスーツを脱いだ上松が直ぐにミッションオイルを抜きに掛かる。
異常な熱さとドス黒さ。抜いたオイルはボコボコと沸騰している。やはりミッションが明らかにおかしい。
予選から数えて既に2回、ミッションを下ろしているSAR号。3回目のミッション下ろしに入る。
全てをバラし、ギアやベアリングを確認するが、目視で異常は見当たらない。
結果は分かるのに原因が究明出来ず、時間だけが過ぎて行く。取り敢えずデフも併せて交換し、再度組み上げる。
スタートから2hを過ぎ、12:55に第2スティントのA Dr.西澤にスイッチして、ピットロードを飛び立って行った。
その時ピットにいた全員が祈るような気持ちで、SAR号を送り出した。1コーナーに飛び込んで行く姿を見届けて、誰もが歓喜の拍手とメカ達に労いの拍手を送る。
#157メガーヌ号は番場監督の采配通り、各Dr.が踏ん張り、給油チームも必死に手押しし、全てが順調で45位付近で周回数を重ねている。
猿渡に声掛けされて、今年からDr.として参戦した盟友、西澤。
普段はSAR号と同じ147GTAでアルチャレの最高峰のSRクラスで凌ぎを削っている。
「(自分のGTAとは乗り比べた感じでは)SAR号は、JAF N1車両規定仕様なので、戦闘力や乗った楽しさではアルチャレみたいな、
何でもアリなのと比べれば薄いかな。
でも定められたレギュレーションの中で、曲がりなりにもJAFの公式戦に出る。上手くいけば(完走出来れば)ずっと記録に残る。
という意味ではアルチャレとはまた違った感慨がある。
また普段のスプリントとは違ってチーム戦だから、そういう点でもやり遂げた感は一入だと思う。
まぁ、それもこれも完走出来ての話なんだけどね。」
レース前にはこう語っていた、西澤。
しかし、そのSAR号は一周持たずにピットに戻って来た。
その場に居た誰もがこの状況を上手く飲み込めないまま、頭から手押しでピットへと入れる。
上松が西澤から状況を聞く。
やはり4速が入らない。5、6速も入るか怪しい状態。
折目監督と上松がしゃがんで次善の策を模索している。
上松 「4速だけが入らないのなら、使わずに騙し騙し周回を重ねるか?」
折目 「この状態でレースを続けて、もし昨日の様にミッションケースが走行中に割れてしまったら、コース上にオイルを撒き散らし他のエントラントに迷惑が掛かるし危険だ。
決勝レース全体に影響が出る。既に現在の時点で規定周回に達していないから、このまま直ぐにコースに戻ったとしても、残念ながらもう完走扱いにはならない」
3度目となる今年も無念のリタイアか、、、。
上松 「今何時?」
川井 「13:10!」
上松 「やるよ!2hもあれば直せるから。いや、1.5hも掛からないから」
折目 「アゲさん、身体は大丈夫なの?分かった。事務局には、完走扱いには成らないけど、出走願いの嘆願書は用意しておく」
上松の力強い一言だった。
切れかけたタスキが繋がった瞬間だった。
誰一人諦めていない。まだこの決勝を走っていないDr.の為にも、上松、四度目のミッション下ろしが始まった。
もう手持ちのギアも底を尽く。
ギア比を睨みながら、少しでも程度の良さそうなギアをニコイチ、サンコイチする他ない。
川井、G山、深野も手際良くサポートに回る。
バラしていく中で、上松が声を上げる。
「あ〜!犯人はこれかー!!!」
4速ギアの間からバラバラとベアリングのピンが零れ落ちてくる。
原因が分かり、修理のスピードも上がる。
上松自身、予選から悪い流れを作ってしまったと自分を責めながらも、その手を休める事なく、何とか全員に走って貰いたい、その一心で懸命にこの耐久レースを紡いでいる。
邪魔にならぬよう、少し下がった位置からその光景を見守っている猿渡。その目は既に潤んでいるように見える。
「よっしゃー、直ったー!!!ジャッキゆっくり下ろしてー」
上松の宣言通り、2h掛からずにリカバリーしてみせた。
14::38。
修理前との違い等のチェックを兼ねて、もう一度西澤がコースイン。
SAR号の全ての動作を丁寧に確認しながら、周回を重ねて行く
4速はシンクロがダメになってるのでダブルクラッチ使った上で一拍置けばちゃんと入る。
今度こそ大丈夫だ!
周りが燃費走行する中、裏ストレートもギリギリまで踏んで行く。
ブレーキに不安を覚えながらも何とか西澤も自分のスティントを走り終えて、第3スティントの太田へタスキを繋ぐ。
太田も3度目のJoy耐。過去2回リタイアに泣いた悔しさを胸に秘め、じっと自分のスティントが来るのを準備をして待っていた。
完調とは言えないSAR号をクレバーに操り、コースに確かな軌跡を描いていく。
太田もブレーキのタッチに不安も覚えながらも、ぶつけないように壊さないように慎重になりながらも、ギリギリまで攻める熱い走りで一周でも多く周回を重ねて行く。
そして第4スティントを秋葉が受ける。
秋葉もまたその順番が来るのを、辛抱強く待った一人だ。
本来なら昨日の予選後の走行枠でマシンの感触を確認する為、走る筈だったが件のトラブルで叶わなかった。
「ドライバーは走ることが役割だから」と、ひたすらチームプレーに徹し、士気が下がらぬよう鼓舞しDr.の結束を固め、その重責を果たした。
そして、いよいよ最後となる第5スティント。
SAR号のオーナードライバーの猿渡が満を持して登場する。
昨年は接触もあり痛々しいSAR号であったが、今年は接触も無く綺麗なままのボディは、オーラを纏って凄味さえ放っている。
中味は4度のミッション下ろしに耐え、満身創痍ながらも何とかオーナーの猿渡をゴールさせようと、その羽は最後の1秒まで羽ばたこうとしている。
上松も「最後のゴールまで全開で楽しんで来なね!」と送り出す。
「きっと走り出す前から泣いてるんだろうな」
皆んな思ったに違いない。
4度目の修理からコース復帰した際に、ホームストレートを力強く駆け抜けて行くその様を見て、サインボードを大きく掲げながら堤が呟く。
「まるで不死鳥のようだな」
ボディサイドに描かれた、シルバーの流れる様に流麗に羽ばたくデカール。
昨日の予選からもう何度もその羽は折れかけた。しかしその度により大きく、力強く、またコースへと復帰し羽ばたいていく。
猿渡という一人の男から始まった大きな夢を乗せて。
7hという過酷な耐久レースもエンディングに近付いている。各マシンもレーシングスピードから一段スピードを落とし、ゴールに備えている。
サインエリアも解放されて、それぞれのチームのマシンの雄姿を見ようと、ピットからサポーターも一斉に飛び出してくる。
17:00チェッカー!!!
通過する各コーナーポストからも、7hを無事に終えようとしているマシンに対して、goodやcoolなどのボードで手を振り応えている。
ゴール後コース上車両保管となり、SAR号から降りる猿渡。降車後、右側フェンダーの辺りで、徐に跪いてSAR号に祈りを捧げるように何かを語りかけていた。
その後、ピットに待つ戦友とも言えるメンバー達とチェッカーを分かち合う。
#157メガーヌ号は144周を走り切り、
総合45位/90台 クラス2位 ベスト外国車賞も受賞し、有終の美を飾った。
同チームとしてピットからも「おめでとう!」の祝福の声があちこちから掛かる。
そんな中、上松は何だか一人黙々と広げた工具やら部品を片付け始め、店仕舞いに勤しんでいる。
猿渡が川井、G山、深野、折目監督、Dr.の西澤、太田、秋葉とそれぞれに握手と労いの言葉を交わす。
そして上松に歩み寄り、手を差し伸べ固い握手を交わす。
「アゲさん、ありがとう」
「俺の方こそ、ちゃんと走らせてあげられなくてごめん。今回のレース、悪い流れを作ったのは全部俺だから」
お互いこれ以上喋ったら泣きそうになるのを必死に堪えているようにも見えて、こちらが貰い泣きしそうになる。
敏腕メカとして奮闘したヨシアキにお礼を伝える頃には、猿渡は涙腺が完全に崩壊していた。
川井が以前、猿渡を評して、「スティーレ最後の良心だ」と言ったことがある。
思い起こせば3年前。
一介のサラリーマンがアルファロメオでJAF戦を走る。
猿渡の無謀にも思えた純粋で直向きな挑戦が、小さな種を蒔いて少しずつ花開いて。
気が付けばチームの垣根を越えて、賛同した有志たちが手弁当で集い、純粋に感動を分かち合いたいと魅了され始めている。
2016年の結果は、昨年のリタイアから、(公式記録としては残らないが)完走チェッカーは受けられた。
過去2年の悔しさを胸に、ドライバー、メカニック、サポーターの全員が気持ちを1つにして臨み全力を出し切った結果なのだから、
またしてもこれが今のこのチームの最大限の実力なのかもしれない。
(剪断されたミッションギア。有り余るトラクションの凄さが垣間見える。)
悔しさが残る。
だが、既に猿渡の気持ちは来年に向けて始動している。
この先の一年間。長いようで短いだろう。
来年もまた、その過程と当日の予選・決勝を誰よりもDr.達が一番に楽しんで欲しいと切に願う。
我々はそれを魅せてくれれば、それだけでもう十分サポート冥利に尽きるから。
猿渡がSAR号に掛けた言葉がそれを物語っている。
「ありがとう。そしておつかれさま。でも、俺達は、こんな所で立ち止まらないから。」
猿渡という一人の男の夢の挑戦は、まだ始まったばかり。決して諦めない。私達は強い絆で結ばれているのだから。
147GTA-SAR号 2016Joy耐 result
59周(規定周回不足により完走扱いとせず)
総合87位/90台
「#147に携わった全ての人に感謝します。ありがとうございました。」
Stile代表 上松淳一